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おなかいっぱい     月桜可南子
 電車を降りると、駅のホームにある巨大な看板が目に付いた。新作ドラマの宣伝のために作られたもので、妖艶な美女を片腕に抱き、挑むような瞳でこちらを睨みつけている青年は、高柳亮太だ。
 最近の女性は、草食系の男が好きだなんて、誰が言ったんだ? 亮太は雄の危険な匂いをプンプンまき散らしているのに、女どもは目をハートにして追いかけ回している。
 高校一年の時、テレビドラマの端役を演じた亮太は、瞬く間にスターダムにのし上がった。今ではフェロモン垂れ流しの個性派俳優として、ドラマにCMに引っ張りだこだ。あの垢抜けないクソガキが、こんなに洗練されるなんて、つくづく芸能界は恐ろしい世界だと思う。
「やだなぁ、それは恋の力だよ。亮太の彼女は凄く素敵な女性なんだ」
 要は羨ましそうに言ったが、あれはどう見たって有閑マダムとそのツバメだ。恐ろしいことに亮太は、現職大臣の奥方と付き合っているのだ。そのくせ、まだ要に未練タラタラで、親友を気取っている。まったく、いけ好かない奴だ。


「あ、この魚、美味しそう。煮つけようか?」
 一緒に出かけたスーパーで、要が食材を選ぶのに、買い物かごを持って付いて回るのがオレの役目だ。週末はいつも要の家で夕食を作って食べ、家庭教師と称して、要のおじいさんが帰宅するまで一緒に過ごす。要のおじいさんも、俺の両親も、まさか俺たちが恋人同士になっているとは夢にも思ってもいないだろう。
「ねえ、ワインはどうする? やっぱり白?」
「いや、たまには日本酒にしよう」
「えーっ、雅人兄、おやじくさいよ」
 日本酒の匂いが嫌いな要は露骨に眉をしかめた。ちらちらと周囲の主婦達が視線を向けるのに、要は無頓着だ。自分の容姿がどれほど人目を引くか、これっぽっちも意識していない。
 人々は、要が俺を「雅人兄」と呼ぶので、仲良く兄弟で買い物をしているのだと微笑ましく見てくれる。よもや俺たちが三日と開けずセックスする関係だとは思ってもみないだろう。
「ねえねえ、今度の休みはドライブに行こうよ」
 買い物を終え、俺の車の助手席で車窓を眺めていた要が、思いついたように言った。
「かったるいな。たまの休みぐらい家でのんびりしたい」
「雅人兄のケチンボ! そんなんだから太ってきたんだよ」
 頬を膨らませてムクレる要は、両頬いっぱいに木の実を頬張ったリスを連想させて笑える。
「太ってないって。ジムで鍛えて筋肉がついただけだ」
「その割にはスタミナないよね。いつも三回しかしてくれないじゃん」
 要の挑発的な瞳が向けられる。俺は呆れて苦笑した。
「要の体を気遣ってやってるんだぞ。それとも腰が抜けるくらいやって欲しいのか?」
「うん、して! おなかがいっぱいになるくらいシテ欲しい!」
 嬉しそうに要が俺の左腕に抱きついてきた。
「おなかがいっぱいになるって、何だよそれ?」
「だって、腰が抜けるのはイヤだもん」
 要は早熟なのかウブなのか、よくわからない。でも、その色香は半端じゃない。特にセックスを覚えてからの要は。蠱惑的な微笑みを浮かべてジッと見つめられると、つい押し倒してしまうのだ。
「危ないからそんなにくっつくな。運転中だぞ」
「はぁい」
 要は無邪気に俺から離れてくれたが、俺の身体はすっかりその気になっていて、要の家に着き玄関ドアを閉めるのももどかしく――。


 要の左脚を抱えあげて体位を変えると、背後から腰を密着させる。さっき俺が放ったものがグチュリと音を立てて零れ出した。
「あっ、ふ……っう」
「おなかいっぱいになったろう? 溢れ出てる」
 揶揄すると要は唇を噛みしめた。激しい行為に疲れたのか、少しだるそうだ。抜かずの二発に加えて、さらに三度目までも狭い体内に注がれたのだから苦しいのかもしれない。
「おなか空いた」
「はあ?」
 俺が間抜けた声を上げると、要が背後から抱きしめている俺を振り返った。
「だって、夕食抜きでスルんだもん」
「あ、そっか」
「だから、ご飯作って」
「えっ? 俺が作るのか?」
 俺はちょっと焦った。料理は苦手なのだ。
「うん、僕、クタクタだから」
「ちえっ、要にさんざん搾り取られたのは俺の方なのに」
 ブツブツ文句を言いながら要との繋がりを解こうとすると、細い身体が物欲しげに追い縋ってきた。
「待って、あと一回だけして」
 要は、俺の息子を締め付けて、おねだりする。おい、そんな元気があるなら飯を作れよ。
「……要、さっきクタクタだって言ったよな?」
「でも、雅人兄がごはん作ってくれるなら、もう一回したい」
「…………」
 俺は、要とのエッチか夕飯か悩んだが、勝手に腰を揺らし始めた要に引きずられて情けなくもその気にさせられてしまった。もしかして要は、セックスに関して、“おなかいっぱい”ということがないのかもしれない。


「焦げてる」
 思いっきり嫌そうな口調で要が言った。
「ちょっとだけだ。そんなの焦げてるうちに入らない」
 憮然として反論すると、要は俯いて黙った。その肩が小刻みに震えているのは、たぶん笑うのを堪えているからだ。
「料理は嫌いなんだよ」
 ぼやきながら冷酒を口にする。
「亮太は料理するの好きだって言ってたよ」
「なんでそこで亮太の名前が出るんだ」
「亮太が料理好きだって言ったから」
 噛み合わない会話を俺は諦めた。
「……とにかく食べろ」
「皮をめくれば食べられそうだね、良かった」
 要は呑気に言った後、不意に顔を上げた。
「そうだ、映画のチケットをもらったから週末は映画に行こう?」
「もらったって、誰に?」
「亮太だよ」
 再び煮魚と格闘を始めた要は、俺の苛立ちには全く気づいていない。
「もしかして、亮太と一緒に行くはずだったのか?」
「うん、取材が入ったから行けないんだって」
「どうせ俺は暇人だよ」
 ヤケクソのように言うと、要はやっと俺の不機嫌さに気がついたらしく、宥めるようにニッコリと笑った。
「いじけることないじゃん」
「いじけてない!」
「雅人兄って、昔っから亮太のこと目の仇にしてるよね」
 要が“目の仇”なんて言葉を知っているはずないから、どうせ亮太からの受け売りだ。
「恋敵とオトモダチになるバカがいるならお目にかかりたいね」
「亮太はコイガタキじゃなくて、親友だよ?」
 無邪気に訂正した要を、俺はまじまじと見つめ、それから少し亮太に同情したのだった。

                         END 

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