あまのじゃく       月桜可南子
 仁は、大河内恭介を見た瞬間、自分の失敗に気づいた。よりによって秀明のストライクゾーンの男を、自ら食事に招いてしまったのだ。
 均整の取れた体躯、彫りの深い顔立ちとニヒルな雰囲気、その上、洗練された会話術まで備えていれば、秀明が興味を持たないわけがない。
 案の条、秀明は上機嫌でワインを飲みながら、大河内との駆け引きを楽しんでいた。


 事の起こりは、秀明が誕生日に兄・佐藤響から贈られた画集だった。遠野優という日本人画家のもので、仁はその凛とした色彩に魅了され、この画家に秀明の肖像画を描かせてみたいと思った。
 画商にコンタクトを取ると、猛烈な売り込みが始まった。遠野優のパトロンになって欲しいというのだ。オズモンド家は、アメリカのメディチ家と噂されるだけあって、一族の者は皆、それぞれお気に入りの芸術家の庇護者として持てる財を惜しみなく使っている。
 仁はパトロンになることにやぶさかではなかったが、画家の恋人が同性と知って二の足を踏んだ。画家がゲイであることから、秀明に変な誤解をされるのを恐れたのだ。
 なにせ仁は前科持ちである。16歳の少年と成り行きで関係を持ち、秀明をメチャクチャに傷つけた過去があるのだ。どんな些細な事でも、秀明に誤解されたり、ましてや秀明を傷つけたりなどしたくない。
 躊躇う仁に、画商の内田奈々衣は互いのパートナーを伴っての夕食会を提案した。


 秀明の誤解を招かないように、とセッティングした夕食会だったはずが、火遊びの相手を紹介することになってしまった。そのあまりの間抜けさに、仁は地団駄踏みたい気分だった。これでは藪蛇もいいところだ。
 ほんのり酔った秀明は壮絶に色っぽい。怜悧な雰囲気が影を潜め、艶やかな色香が漂う。酔いに潤んだ黒目がちの瞳は、ゾクゾクするほど官能的で、見つめられると体温が一気に上昇する。
 しかし今は、どんどん身体が冷えていくのを感じていた。まずい……こんなはずではなかった。誰か秀明を止めてくれないだろうか、と仁はテーブルの面々に視線を泳がせた。
 大河内のパートナーである遠野優は、緊張のあまり食事もろくに喉を通らないらしく、引きつった微笑みを浮かべたまま二人の会話には全く口を挟もうとしない。
 画商の奈々衣は、この状況を楽しんでさえいるかのようだ。いささか戸惑っている大河内を、秀明に焚きつけてばかりいる。
 奈々衣が契約に立ち会わせるため連れてきた初老の弁護士は、我関せずと冷静に事の成り行きを見守るつもりらしい。仁や秀明と目を合わせないよう用心しながら、贅を凝らしたフレンチを楽しんでいた。
 秀明は、ほとんど漢字が読めないくせに、大河内の著作本を送ってもらう約束を取り付けて、御礼にNYを案内すると言い出した。
 これにはさすがの仁もキレた。ここ数ヶ月、休みの度にデートに誘っても「疲れているから出かけたくない」とすげなく断られていたのに、大河内と連れだって出かけるなど許せるはずがない。
 もちろん二人きりでの観光ではなく、大河内の恋人である画家も一緒にということなのだが、秀明に気圧されて顔も上げられない恋人など、何の障害にもなりはしない。あわよくば大河内と二人きりになって、火遊びを楽しもうという秀明の目論見が透けて見えるようだった。
「秀明、このところハード・ワークで疲れているんだろう? 週末くらいゆっくりしたらどうだ?」
 仁は堪えきれずに嫌味を言ってしまった。
「だから、気分転換に観光案内なんか、いいと思ってさ」
 にっこりと極上の笑みを浮かべて、秀明は仁の矛先をさらりとかわす。仁が不機嫌なのは察しているが、秀明はそれにさしたる関心を示さなかった。新しいオモチャに熱中する子どものように、頭の中は大河内のことで一杯なのだ。仁は諦めたように深い溜息を吐くと、手にしたワインを一気に飲み干した。
 仁の苛立ちにいち早く反応したのは、画商の奈々衣だった。大切なパトロンを怒らせては、渋る大河内を日本から渡米させた意味がなくなってしまう。
「大河内は先約が入っていますの。せっかくのお誘いなのに申し訳ありません。その代わり、佐藤さんが日本にお見えの際は、ぜひ飲みに誘ってやってください」
「それがいい。秀明は日本酒が好きだからな。和風の落ち着いた店でしっとり飲むのはいいものだ」
 仁は、奈々衣の助け船に内心小躍りしながら、鷹揚に肯いた。もちろん秀明が大河内と顔を合わせる機会など金輪際作ってやる気はないし、秀明が大河内と会おうとしても徹底的に裏から妨害するつもりだった。
 いい加減、酔いの回ってきた秀明は、そんな仁の思惑など気づいた様子もなく、呑気に大河内と再会の約束をして引き下がった。


 酔って眠そうな秀明のために、仁はホテルのロイヤルスイートを取った。秀明がベッドで安眠を貪っている間に、パジャマと着替えを執事に届けさせる。仁の予想通り、秀明は二時間ほどで目を醒ました。
「着替え、届いてるぞ」
「ん、サンキュ。シャワー浴びてくる」
 寝乱れた自堕落な格好でも、不思議と秀明は清冽だ。その上、寝起きでぼんやりしているため、無邪気で幼い素顔が覗く。だから仁は、寝起きの秀明が大好きだった。
「今日のランチはバルコニー席しか空いてなくて、日焼けしちゃったよ」
 パジャマのボタンを二つ外して、秀明はほんのり赤くなった首筋を晒した。日焼けして火照った肌を鎮めるためローションを手にしている。
「シャワー浴びたら、ピリピリした。あーあ、失敗したなぁ」
 むくれたように呟くと、秀明は窓際の椅子に腰を下ろした。寛げた胸元に、無造作に塗布されたローションが滴ってパジャマの奥へと消えていく。パジャマの陰にチラチラと見え隠れしている紅い乳首。痛みに耐えるかのように顰められた眉と、引き結ばれた唇。そそられずにはいられない光景だ。仁は無意識のうちに、秀明の身体へ手を伸ばしていた。
「なに発情してんだよ」
 秀明が苦笑する。しかし、まんざらでもないらしく自分から唇を重ねてきた。仁は舌を絡ませながら、秀明のパジャマを剥ぎ取っていく。
「アッ…、やだっ」
 秀明の双丘の谷間に指先を滑り込ませた途端、秀明はスルリと身をかわしてしまった。舌先で仁の唇を舐めながら、仁の様子を窺うようにジッと見つめる。
「焦らすなよ」
「今夜は後に入れるのはナシ。その代わり一緒に達こう」
 仁は不満そうに眉を寄せたが、秀明から甘えるように微笑みかけられると、全身が蕩けるような幸福感に包まれた。この笑顔に、仁はいつも負けてしまう。先ほどまでの嫉妬や苛立ちなど、たちまち霧散した。今、目の前にいる、この奇蹟のような生き物……秀明に触れられるだけで幸せだった。
「わかったよ。今夜はそれでいい」
 ダブルサイズのベッド上に、二人は向かい合って座り込んだ。仁は秀明の細い指先にキスを落とすと、自らの欲望へと導く。
「仁のコレ、大好きだよ。大きさも形もすっごく好み」
 互いの欲望を扱き合いながら、啄むようなキスを繰り返す。
「後で舐めてくれよ」
「うん、舐めて綺麗にしてやるから、いっぱい出せよ」
 次第に息が乱れ、先走りの卑猥な水音が耳を犯した。秀明の長い指が捏ねるように仁の熱棒を扱きあげる。下腹部の一点に灼熱が集まり、目の眩むような快楽に支配される。
「クッ……ひで…あきっ!」
 仁が絶頂の近いことを知らせると、秀明は自分のペニスから仁の手を外した。そして、二人のペニスを器用に絡めて追い上げていく。仁はもう呼吸をするのが精一杯で、すべてを秀明に委ねて解放を待った。
「あぁ……仁、アイ…シ…テル」
 秀明の官能に濡れた舌足らずな声が愛おしい。秀明も終わりが近いのだろう、切なげに細められた瞳が情欲に潤んでいた。
「も…イク……っウウ!!」
 秀明は自分が達する直前、仁の怒張した先端を引っ掻くように刺激して、仁も一緒に射精へと導いた。秀明の掌で二人分の白濁が混ざり合う。やがて受け止めきれずに掌から零れた精液が、果てたばかりの肉棒に滴り、仁はドロリとした熱に包まれるのを感じた。そこから、痺れるような愉悦が全身へと広がっていく。
 ベッドの上に身体を投げ出して仁が息を整えていると、分身を暖かい口腔に含まれた。寝た子を起こさぬよう細心の注意を払いながら、生き物のような舌が、ゆっくりと白濁を舐め取っていく。
「ダメだ…秀明。我慢できなくなるっ」
 仁は情けない声で訴えた。
「なんだよ、自分で舐めろって言ったくせに」
 呆れたようにボヤくと、秀明はつまらなそうに肩を竦めた。それでもすぐにシャワーを使う気にはなれないらしく、隣に横たわると仁の胸に頬を寄せてきた。堪らない愛おしさに、仁は何度も秀明の髪にキスを落とす。
 秀明が、仁の胸の鼓動を聴きながらポツリと呟いた。
「なあ、……あんな奴のどこがいいんだよ」
「え?」
 仁は訳がわからず、聞き返してしまった。


「『奴』って誰のことなんだ?」
「あの退屈な画家のことだよ。自分の男にコナかけられても、ウンともスンとも言わないバカ」
 バカはないんじゃないかと思ったが、それ以上に仁は驚いていた。秀明は、妬いていたのだ。それで、画家への嫌がらせとして大河内にちょっかいを出したのだ。その事実に、仁は驚き、信じられない思いで秀明の顔を見た。
 少しふて腐れたように、どこか羞恥を滲ませて、仁を上目遣いに見上げる秀明に、仁は猛烈に感動した。感動のあまり言葉が出ず、唇を震わせる仁に、秀明の表情が曇った。
「まさか、あいつと寝たのかっ!?」
 怒気を孕んだその声に、仁はようやく正気に返った。
「そんなわけないだろう。秀明が妬いてくれるなんて考えてなかったから驚いてたんだ」
 その瞬間、秀明は首まで真っ赤になって仁を睨みつけた。しかし、仁は天の邪鬼な恋人を力一杯抱き締めた。背中を撫でながら、あやすように何度も「愛してる」と囁いてやる。やがてその返事のように、秀明の唇から甘い嬌声が零れるのに、たいして時間はかからなかった。
             END

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