好奇心　　　　　月桜可南子

「と、いうわけで、その恋人に熱々の二人を見せて、納得して貰いたいわけ。優くんは、オズモンド氏とは“何もない”ってことを」 　ニッコリ微笑んだ画商の奈々衣は有無をいわさぬ気迫に満ちていた。 「相手は富豪中の富豪よっ、持っている権力も半端じゃない。彼がパトロンになってくれれば、メトロポリタンでの個展だって夢じゃないわ」 「俺は締切があるんだ」 「そんな言い訳は聞かないわよっ!　優くんの将来がかかっているんだからっ!」 　奈々衣の気迫に負けて、大河内は渋々、優と共に渡米した。ワシントンへはすでに一度、観光で訪れたことがあるので、優だけを奈々衣と共に観光へ送り出し、その間、奈々衣が置いていったジン・ヤガミ＝オズモンドの恋人の資料を読んだ。 　世界屈指のハッカーであり、IQ190の頭脳を持つというその青年は、現在、R&K社の経営陣に加わっていた。雑誌の切り抜きらしい写真からは他人を拒絶するような冷たい印象が伝わってくる。とてもじゃないが、愛だの恋だのに興味を持つようには見えない青年だ。 　夕方、観光を終えてホテルに戻ってきた奈々衣と優は、両手一杯に荷物を抱えていた。観光よりショッピングに精を出してきたらしい。 　大河内は、二人がかりでめかしたてられ、タキシードを着た。優は、奈々衣が選んだというグレーのシックなスーツだ。奈々衣はカクテルドレスに着替えて、レストランの個室でセッティングされたオズモンド氏との夕食会に向かった。 　約束の時間は午後七時だったが、彼らはたっぷり小一時間は待たされた。肝心のオズモンド氏の恋人が、遅れてきたからだ。 　大河内は、退屈しのぎに食前酒をかなり過ごしてしまった。上質の酒ならではの心地よい酔いに身を任せていると、ボーイがオズモンド氏に足早に近づき、佐藤秀明の到着を告げた。 　即座に席を立ち、車寄せまで恋人を迎えにいったオズモンド氏は、いささか緊張した面持ちで、青年を伴って戻って来た。漆黒の髪から覗く冴え冴えとした怜悧な美貌に、大河内は息を飲んだ。この圧倒的な存在感はなんなのだろう。 「こんばんは。お待たせしてすみません。佐藤秀明です」 　クールな印象からは想像も付かない甘い艶を含んだ声が言った。 　大河内と目が合うと、秀明はゆうるりと微笑んだ。その瞬間、大河内は悟った。彼は自分と同類だと。 　頽廃的なセックスを好み、快楽に溺れることを是とする。理性より本能を信じ、自由を愛して止まない魂だ。その彼が、自分という獲物を見つけてハンターの瞳を輝かせているのが何よりの証拠だった。 　強烈な好奇心に勝てず、大河内は秀明との会話を楽しんだ。それが、優を不安にさせ、泣かせることになると、頭の片隅でわかっていたのに。 　案の定、ホテルの部屋に戻った途端、優に求められた。大人しく控えめな優が、自分から求めるなど余程のことだ。しかし、大河内には年の離れた恋人の深憂を丸め込むなど容易いことだった。伊達に一回りも歳を重ねてはいない。 　激しいセックスに疲れ果て、傍らで眠る優は、泣き疲れた子どものようだった。その痛々しさに、大河内は胸が潰れるほどの後悔を覚えた。 　自分には、優という守りたい者がいる。秀明との火遊びは堪らなく甘美な誘惑だったが、もう優を泣かせるわけにはいかない。適当な理由を見つけて秀明には二人きりでは決して会わないつもりだ。 　だが、あの瞳でベッドに誘われたら、果たして自分に拒みきれるだろうか。優とは、対極に位置する青年の、静謐と退廃を併せ持つ、あの孤独な瞳に見つめられたら――。 　その時、大河内は欲望ではなく恐怖を覚えた。一度でも彼とのセックスを味わってしまったら、遊びでは終れなくなる。独占欲と色欲に支配され、自分を見失うであろう恐怖。その暗黒を打ち払おうと、大河内は縋るように優の身体に手を伸ばした。 　翌朝、大河内と優が、遅い朝食を取っていると、オズモンド氏からカードとリボンの付いた小箱が届いた。どちらも大河内宛だ。 　訝しみながら、大河内が小箱を開けると、万年筆が入っていた。カードには短い走り書きがされている。 『新しい友へ。友情の証に贈る』 　秀明に手を出せば、友ではなく敵として容赦しないぞ、という無言の牽制だった。 　面白い。大河内の心に、好奇心がむくむくと頭をもたげてきた。 　本来なら独占などできるはずのない幻獣・ユニコーンを、独占できるだけの財力と権力を持つ男。その男の、類い希な宝石を手にしてしまったゆえの哀しい独占欲。薄氷を踏むような危うい恋人達の行く末を見届けたい。 　それは作家としての本能だった。 　　　　　　　　　　　　　　　　END