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恋人の絆     月桜可南子
          act.1
 滝本が入院した。盲腸が破裂して腹膜炎を起こしたのだ。一歩間違えば死ぬところだったと聞いて、俺は心底、ゾッとした。
 課長の許可を得て入院先の病院へ駆けつけた俺は、滝本の入っている特別室へと急いでいた。一階の案内所で教えられた通り、エレベーターを降りて右手へ歩く。角を曲がってすぐに、俺はゴリラのような大男に立ち塞がれた。
「お通しできません。どうぞ、お引き取り下さい」
 ゴリラは仏頂面で言った。
「はあ?」
 訳がわからず、俺は間の抜けた声を出してしまった。
「あの……滝本真路(たきもと・まさみち)さんのお見舞いに来たんですが?」
「白藤哲也(しらふじ・てつや)さんですね。あなたを真路様に合わせないようにと真理恵(まりえ)様からきつく言いつかっておりますので、お通しできません」
 ようやく合点がいって、俺は唇を噛み締めた。真理恵というのは滝本の姉さんで、俺たちの関係には大反対している。
 仕方なく俺は、課のみんなから預かってきた見舞金の袋と花束を男に差し出した。
「これは会社の仲間からです。せめてこれぐらい渡してもらえませんか?」
 上目使いにゴリラを伺うと、ゴリラは困惑していた。
「持って帰ったりしたら、会社でなんて言われるか……」
 たまらなく惨めで自然と俯いてしまう。ゴリラは暫く迷っていたが、会社から誰も見舞いに来ないのも不自然と判断したのか、見舞金と花束を受け取ってくれた。


 その夜、俺はブランデーをヤケ飲みしながら、自分の立場を考えた。
 滝本と俺は、付き合ってかれこれ一年になる同性の恋人同士だ。もちろん二人の関係は周囲には秘密にしているが、滝本は唯一の肉親である姉の真理恵さんに俺のことを告白してしまった。
 弟を溺愛する真理恵さんは、興信所を使って俺のことをいろいろ調べたらしい。その結果、俺のどうしようもない過去を知って、俺達が付き合うことに大反対した。しかし、俺の身体にのぼせている滝本は、真理恵さんの反対に耳を貸そうとはしない。
 真理恵さんとしては、滝本の入院を機に俺達の距離を広げさせようという考えなのだろう。滝本に、いざという時、頼りになるのはやっぱり身内だと、恋人なんて所詮は他人だと教えるために、俺を病室から遠ざけたのだ。
 恋人の俺には、例え滝本が危篤状態になっても、あいつの枕元に行って手を握る権利はない。真理恵さんは肉親の権力で、俺をたやすく病室から追放することができるというのに――。
 俺は、たまらなく惨めな気分になって、グラスに残っていたブランデーを一気に煽った。


 金曜日、二日酔いでむかつく胃をなだめすかして一日の仕事を終えると、俺はセックス・フレンドの井上に電話した。素面のまま自宅に戻って酒で無理矢理眠るより、誰かと一戦交えて、疲れ果てて眠る方が遙かにいいと考えたからだ。滝本だって、俺が一ヶ月も男なしでいられる身体じゃないことぐらい、よーくわかってるはずだ。
 シャワーを浴びている井上を待つ間、ビールでも飲んで暇を潰そうと冷蔵庫を開けた。すると、ちょうどその時、ソファーに脱ぎ捨ててあった俺の背広で携帯が鳴った。なぜかドキン!と胸が高鳴った。滝本からかもしれない。
 俺は恋を知ったばかりのうぶなガキのように胸をときめかせて、ポケットの携帯を探った。しかし携帯を掴んだ途端、コール音は鳴り止んでしまった。まるで迷子になった子供のような心細さを覚えて、俺は茫然と携帯を見つめた。
 その時、シャワーを終えた井上が腰にタオルを一枚巻き付けただけの格好で現れた。
「何で泣いてるんだ?」
 井上が不思議そうに言った。


          act.2
 井上に指摘されて、俺は初めて自分が泣いていることに気づいた。
「一年ぶりに電話してきたと思ったら、また失恋か?」
 井上は俺を気遣うように優しく笑いかけてきた。
「煩いなぁ、泣いてなんかねーよ! さっさとやることやろうぜ」
 俺はわざと乱暴な口調で言うと、井上のタオルを剥ぎ取った。
「ちょっと待てよ」
 井上が慌ててベッドサイドの恋人の写真立てを伏せる。ちっ、律儀な奴。
 井上は恋人にベタ惚れだけど、そいつは身体が弱いため、セックスは年に数えるほどしかできない。それで持て余した性欲を、こうして俺みたいな好きモノと遊んで晴らすというわけだ。俺だったら、そんな恋人とはさっさと別れるんだけどな。
 俺が自分でバスローブを脱ぎ落としてベッドに横たわると、井上は俺の脇腹の傷跡を人差し指でなぞった。
「だいぶ目立たなくなったな」
 そう言った井上は医者の目をしていた。そう、この傷はこいつが縫ったんだ。
「あんたのお陰で命拾いしたけど、相変わらずロクな人生じゃないよ」
「大丈夫、君はまだ頑張れる」
 俺より二つも年下と思えない悠然とした表情で、井上は笑った。人生の酸いも甘いも噛み分けたって感じのするその笑顔に俺は見惚れてしまった。
 ゆっくりと唇が合わさる。俺の苛立ちを宥めるような優しいものから、次第に貪るような激しいものへと変わっていく。井上の内に秘めた荒々しさが剥き出しになる。
 愛はない。あるのは肉欲だけだ。だけど全身全霊で俺にぶつかってくる井上のセックスが好きだ。井上の猛ったモノを受け入れる今、この瞬間だけは、こいつが俺のものだと確信できるから――。


 あまりの激しさに意識を飛ばしてしまったらしい。相変わらず手加減の欠片もない激しいセックス。井上は普段、恋人に対して我慢している分、遊び相手には本当に遠慮のない奴だ。
 井上のセックスは炭酸のきついペリエのようだと思う。俺は、ほんのり甘いミルクティーのような滝本のセックスが恋しくなった。
 ベッドに井上の姿はなかった。ドアの隙間からリビングの明かりが漏れている。ぼそぼそと聞こえるのは、井上の声だ。おそらく最愛の恋人に電話しているのだろう。
 井上はセックスを中断してでも、必ず夜10時に幼なじみの恋人に電話する。『おやすみ』を言うためだ。中学一年の時から続いている習慣なのだというから恐れ入る。
 電話を終えた井上がこちらに来る気配に、俺は急いでシーツに潜り込んでドアに背を向けた。ベッドが小さく揺れて、井上が端に座ったのがわかった。
「同棲して、かれこれ3年だろう? よくもまぁ、飽きずにベタベタしてられるな」
 シーツの中から俺が呆れたように言うと、井上は苦笑した。
「俺、今夜はここに泊まれるから、哲也も泊まっていけよ」
「ふぅん、お許しが出たのか?」
「ああ、ここんとこ体調がいいから機嫌もいいんだ」
 俺は写真でしか見たことのない井上の恋人の顔をチラリと思い浮かべた。可憐と言う言葉がピッタリの華やかな顔立ち。井上と同い年のはずなのに、どう見ても10代にしか見えない幼さがあった。
 とても井上を尻にひくようには見えないタイプだが、当の井上はひれ伏さんばかりに崇め奉っている。なにもそこまで相手の顔色を窺わなくてもと、俺は何度からかったことか。
「ここで俺達がこんなことしてると知ったら、どんな顔するかな?」
 俺は笑いながら井上の下半身にそろそろと手を伸ばした。
「哲也、ルールを守れないなら二度と会わないぞ!」
 恫喝するような井上の低い声に、俺は地雷を踏んだことに気づいた。慌てて取り繕うために、おどけた口調で言う。
「ゴメン、冗談だよ。バレるようなヘマはしない。ほら、キスマークどころか爪痕ひとつ付けてないだろ?」
 井上の脇腹を触れるか触れないかという微妙なタッチで撫で上げてやる。肝心な場所には決して触れないもどかしい愛撫に、井上のモノはたちまち芯を持ち始めた。
 不機嫌にひき結ばれた唇を割って舌を潜り込ませると、乱暴に舌を絡め取られる。井上は、そのまま俺をベッドに縫い止め、腰を擦りつけてきた。
 俺がやりやすいように膝を開いてやると、井上は俺の後ろの窄まりに指を入れて掻き回し始めた。弱いところを爪先で引っ掻くように刺激され、馴染んだ快感に我知らず嬌声が漏れる。
「立てなくなるまでヤッてやるよ」
 耳元で甘く囁かれ、俺はゾクリと肌を震わせた。

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          act.3
 明け方近くに、井上は病院から呼び出されて出掛けて行った。担当している患者が急変したらしい。
 俺はクタクタで起き上がる気力がなかったので、ベッドの中から井上を見送った。そのまま寝直そうと思ったのだが、入院している滝本のことを思い出して、おまけに悪い想像ばかりしてしまって、結局、寝付けなかった。
 始発で自分の部屋に戻ると、ポストに白い封筒が入っていた。差出人は滝本だった。切手が貼られていないところから、誰かに頼んで届けてもらったことが推測できた。
 滝本の痛みを耐えて書いたであろう筆跡に、俺はなんだか胸が熱くなった。ハサミを探して開けるのがもどかしくて、乱暴に手で開封してしまう。


        白藤哲也様
 ご心配をお掛けして申し訳ありません。
 すごく逢いたいです。どうか逢いに来て下さい。
                         滝本真路


 滝本は、相変わらず脳天気でバカだ。滝本の姉さんに阻まれて、俺が病室に近づけないことをこれっぽっちもわかっていない。
 でもまあ、こんな手紙が書けるぐらいだから、順調に回復しているには違いない。俺が腹を刺された時は、丸一週間、口を利くのも億劫だったからな。
 万一、容態が急変してポックリ逝ってしまったらと、心配で寝付けなかった自分の小心ぶりが情けなくなって、俺はムカムカしながら手紙をゴミ箱に投げ込んだ。俺がどんなに不安で心細い思いをしているか、あいつには絶対、想像できないだろう。俺は鈍感な滝本が憎らしくなった。
「なにが、逢いに来て下さいだ。逢いたかったら自分が病室を抜け出してこい!」
 俺は服を着替えながら悪態をつきまくると、寝不足でフラフラする身体に鞭打って出勤した。


 終業間際に井上に電話したら、暫く病院に泊まり込みになると言われた。俺はがっかりして、時間潰しにしなくてもいいサービス残業を1時間もした。その気になれば雑用なんていくらでもある。
 週末を一人で過ごすのが憂鬱で、改めて滝本の存在の大きさを実感した。ベタベタとじゃれつくあいつが鬱陶しくて、いつも邪険に扱っていたことをちょっぴり反省する。
「まだ終わんないのかよ?」
 ノロノロと机の上を片づけていると、突然、イライラした口調で声を掛けられた。驚いて顔を上げると、誰もいないはずのフロアの入口に茶髪の青年が立っていた。カーキー色のパーカーにジーンズ、おそらくまだ二十歳そこそこだろう。
「手紙、読んだんだろ? 見舞いにいかねーのか?」
 その一言で俺はピンときた。この青年が手紙を届けてくれたんだ。それにしても柄の悪い奴だな。滝本にこんな友達がいたなんて意外だ。
「場所がわかんないなら、オレが案内してやるよ」
「でも、もう面会時間は終わっているから」
 俺は事情を説明するのが嫌で、当たり障りのない返答を返した。
「オレと一緒なら平気だよ、家族だから」
「えっ!?」
 滝本の両親は10年程前に亡くなって、肉親は姉の真理恵さんだけだと聞いていたから、俺はビックリした。
「そんな驚いた顔することないだろ。オレ、真路の弟だよ。腹違いだけどさ」
 青年はすたすたと俺の側まで歩み寄ると、にっこり笑って手を差し出した。
「オレは滝本遼介(たきもと・りょうすけ)。よろしく!」
「あ…どうも……」
 俺は茶髪でピアスを3つも付けてる青年に圧倒されながら、差し出された手を握った。正直言って、見るからにヤンキーって感じのこの青年は苦手だ。
「ところでさ、あんた、真理恵ねーちゃんにメチャクチャ嫌われてるけど、何やらかしたんだよ?」
 身に覚えがありすぎて、俺は焦った。他人の男を寝取り、トラブルを撒き散らして生きてきた俺なんて、滝本の姉さんにしたら、疫病神以外の何者でもないだろう。おまけに、彼女の夫と関係を持ってしまったことすらあるんだから……。だけど、馬鹿正直にこのヤンキーに説明するいわれはないので、とぼけることにする。
「一度も会ったことがないのに、嫌われてるなんて残念だな」
「あんた、美人だから、ねーちゃんも会えばきっと気に入るよ」
 何も知らない青年は、そう言って俺を慰めてくれた。でも本当のことを知ったら、きっと俺に唾を吐きかけるに違いない。
「はやく病院に行こうぜ。真路の奴、夕べ、あんたに電話しようとしてベッドを抜け出して、傷口が開いちまったんだ。バカだろう?」
 その言葉に、俺は絶句して固まった。あの電話――やっぱり滝本だったんだ。
「そんなビックリすんなよ。出血はすぐに止まったから大丈夫だ」
 青年が馴れ馴れしく俺の肩を抱いてきたが、俺は茫然としてされるがままだった。


          act.4
 滝本の弟に、日曜日の面会時間内に行くからと約束して、俺は自宅に戻った。だけどまた門前払いされたらと考えると怖くて堪らなかった。ましてや滝本の姉さんと鉢合わせなんてしたらもっと嫌だ。見舞いに行かなくてはと思いながらずるずると時間だけが過ぎ去り、気がつくと夕方になっていた。
 自分を叱咤激励して病院へ行こうと部屋を出ようとした時、玄関のドアホンが鳴った。俺が一向に病室に現れないから、滝本の弟が迎えに来たのかと思って、玄関に行くと宅配業者だった。
 荷物はダンボール2箱、差出人は滝本の姉さんだった。内容品欄に書かれた衣類・雑貨という文字を見て、俺はへなへなとその場に座り込んだ。滝本の部屋に置いてあった着替えや歯ブラシといった俺の私物を送り付けてきたんだ。そんなにも俺の存在が許せないのかと、俺は泣きたくなった。
 結局、俺は病院へは行かず、馴染みのバーに逃げ込んでしまった。俺の身体を舐め回すような男達の視線に不快感を覚えながらも、最初に声を掛けてきた奴とホテルへ行こうと考えていた。俺にとってセックスは最高の気晴らしだからだ。嫌なことはみんな忘れられるし、俺の上で快感に喘ぐ男を見ると自分が必要とされていると錯覚できる。
「なんだ、こんな所にいたのか」
 声を掛けてきたのは、滝本の姉さんの夫・服部だった。こいつは、義弟の恋人と知りながら俺に手を出した恥知らずだ。
「帰国してたんですか?」
「義弟が入院とあっちゃ、見舞いに来ないわけにいかんだろ。君はまだ一度も顔を出してないんだって? 私がまた君をホテルに連れ込んでるんじゃないかと、真路くんがやきもきしてたよ」
「真理恵さんの指示で、追い返されたんです」
「それで他の男の部屋に行ったのか」
「え?」
「気づかなかったのか? 君にはずっと興信所の探偵が張り付いてるぞ。真理恵が雇ったんだ」
「なんで……?」
「君の身持ちの悪さを証明して、君と別れるよう真路くんを説得するためだ」
「俺、ほんとに嫌われてるんだ」
「真理恵はあれで、かなりの潔癖症だからな。君のように尻軽で節操のない奴は虫酸が走るらしい」
 ずいぶんな言われようだが、事実だから仕方ない。俺は黙って唇を噛みしめた。
「今夜は、私と3Pはどうだ? あそこに連れがいるんだ」
 服部が親指で軽く指し示した方向を振り返ると、まだ16か17ぐらいの売り専の青臭いガキが、他の客と楽しそうに話し込んでいた。
「真理恵さんが潔癖症なら、どうしてあなたと結婚してるのか聞きたいな」
 俺が嫌味たっぷりに言ってやると、服部は豪快に笑った。
「決まってる、私はコソコソしないで堂々としてるからだ。そうすりゃ、周囲は大目に見ようって気になるのさ」
 俺は服部の開き直りが妬ましくて、口元をへの字に曲げた。ふん! どーせ俺は小心者で臆病だよ。なにより世間体が大事なんだ。
「類、おいで! 友達を紹介しよう。彼のテクニックは最高だから、教えて貰うといい」
 服部が悪びれた様子もなく、連れのガキを呼んだ。
「俺、明日は仕事なんで帰ります。おやすみなさい」
 俺はあたふたと立ち上がった。真理恵さんの雇った探偵がどこかで監視しているのに、服部と3Pなんて冗談じゃない。


          act.5
 俺が自分のマンションに戻ると部屋の前で、滝本の弟の遼介くんがうろうろしていた。
「あっ! 白藤さん!!」
 俺を見つけて猛突進してくるヤンキーに、俺は思わず後ずさった。
「ええっと、すみません、俺、急用ができて、その……」
 俺は見舞いに行かなかった言い訳を必死に考えた。
「真路が、病院からいなくなったんだ! それでオレ、ここに来てんじゃねーかと思ったんだけど」
 弟の取り乱した様子に、俺は言い訳も忘れてポカンと口を開けてしまった。
「居なくなったって……いつ?」
「はっきりした時間はわかんねーけど、たぶん5時ぐらい」
「俺は、夕方4時過ぎにここを出て、今まで出かけてたから、もしここに来ても居なくて、どこか他に行ったと思う。自分のマンションには戻ってないのか?」
「着替えに戻った形跡はあるけど、いないんだ」
「携帯に掛けてみた?」
「携帯はねーちゃんが取り上げてたから持ってない。あんたの携帯に連絡はなかったか?」
「あ、地下の店に居たから電波が届かなかったかもしれない」
 俺達はしばらく無言で顔を見合わせた。不安と焦燥が押し寄せてくる。
「俺、念のため会社に行ってみる!」
 何か大切な仕事を思い出して会社に行ったのかもしれない、と考えたからだ。
「いや、あんたはここにいてくれ。会社はオレが行ってみる。とにかくここが一番、可能性が高いんだから」
「う、うん。わかった」
 俺は駆け出していく遼介くんの背中を見送った後、ノロノロとドアを開けた。すぐに留守電のランプが点滅しているのを見つけて飛びつく。
 録音件数は2件。録音再生ボタンを押すと、滝本の憔悴した声が流れてきた。
『哲也、逢いたいよ。愛してるんだ。もう他の男を見つけたのか? 俺、絶対別れない。ストーカーって言われたって絶対諦めないから』
『あ、哲也、井上だけど。今、おまえの男、滝本って奴が来ててさ。おまえに会わせろって聞かないんだ。少し出血してるみたいで、傷口見せろって言っても言うこと聞かないしさ、まぁ、たいしたことないとは思うけど。とにかく、これ聞いたらすぐに折り返し電話してくれ』
 俺は唖然とした。なんで滝本が井上の所に籠城なんかしてるんだ? それに出血してるって、また傷口が開いたってことか?
 大急ぎで井上に電話すると、井上は恐ろしく不機嫌だった。電話口に滝本を出して貰って、井上に傷口を見せるよう説得する。
『どうして俺の部屋から荷物を全部持ち出したんですか!? 俺と別れてこの人とつき合うつもりなんでしょう?』
 滝本は俺の話なんて、これっぽっちも聞いちゃいなかった。真理恵さんから、俺が井上と寝たことを聞いたのだろう。勝手に俺が井上に乗り換えるつもりだと思い込んで泣き喚いている。
 お子様の滝本には、『気晴らしのセックス』というのは理解できないらしい。セックス=好きという図式しか成り立たない頭なんだ。
「馬鹿野郎!! なんでそういうことになるんだ! 荷物はおまえの姉さんが勝手に俺に送り付けてきたんだ!!」
『それ、ホントですか?』
「これ以上俺を怒らせると、本当に別れるぞ」
『すみません』
 俺の脅しに、ようやく冷静さを取り戻したらしい滝本が、気弱な声で言った。
「傷口が開いたんだろ? 井上は医者だから早く診て貰え。俺もすぐそっちへ行くから」
『哲也、こいつ貧血で意識レベルが下がってきてる。これから俺の勤めてる病院へ連れて行くから、そっちへ来てくれ』
「ええっ!?」
『大丈夫、これぐらいで死にゃしないよ。じゃ、後でな』
 俺は、すぐに滝本の弟の携帯に電話して、井上の勤め先の病院を知らせた。タクシーで病院へ駆けつけると、滝本は手術中だった。
 井上の嘘吐き野郎! たいしたことないとか、大丈夫だとか言った癖になんで再手術なんだよっ!!


          act.6
 俺が到着してすぐに滝本の姉さんと弟も来た。さすがに滝本の姉さんは姉弟だけあって滝本と目元がそっくりで一目でわかった。
 俺は待合室から追い出されるかと身構えたが、彼女は俺を完全に無視して、俺を見ようともしなかった。皆、不安で一杯で無言だった。
 俺には気が遠くなるほど長い時間だったが、実際には一時間半くらいで手術は終わった。井上が言うには、局部麻酔で傷口を洗浄して縫い直すという簡単な手術だったらしい。
 俺はその夜、滝本の強い希望で病室の仮眠用ベッドに泊まることになった。
「家族がいるのに他人が付き添いなんて不自然だわ」
 案の定、滝本の姉さんは眉を吊り上げて反対した。
「哲也は俺の家族だよ。今度、哲也を除け者にしたら姉さんとは縁を切るからね!」
 優柔不断な滝本にしては珍しく、毅然とした態度で宣言する。
「真路、カッコイイー!」
 側で聞いていた滝本の弟が喝采をあげたが、俺は生きた心地がしなかった。俺のせいで滝本と姉さんが仲違いするなんて困る。
「遼介、茶化すんじゃありません!! 私は、白藤さんが同性だからお付き合いに反対してるんじゃないのよ。真路が入院した途端、すぐに他の男と寝るような貞操観念のない人だからよ。本当に真路を愛していたら、普通そんなことできないはずだわ」
 俺は身の置き場がなくて逃げ出したかったが、滝本はしっかりと俺の手を握っていて離さない。
「それは姉さんが哲也を追い返したりして、不安にさせるからだよ。哲也は人一倍淋しがり屋なのに、側についててやれなかった俺が悪いんだ」
 滝本は酷く苦しそうな表情で呟いた。淋しさを紛らわすために井上と寝たことが、滝本をもの凄く傷つけたのだとわかり、俺は自己嫌悪で一杯になった。
「あんたって子は、なんてお人好しなの」
 滝本の姉さんは大きな溜息をついて忌々しそうに俺を見た。しかし結局、諦めて、駆けつけた服部と共に帰っていった。


「念のために言っておくが、ここは病院なんだからセックスはダメだぞ」
 井上は俺達にしっかり釘を刺すのを忘れなかった。
「看護師の巡回は夜中の11時と午前3時だ。『スキンシップ』はこの時間を外してやれよ」
 ふーん、つまりそれって本番はダメでも、手や口でやるのはオッケーてことだよな。俺は勝手に解釈して、11時の巡回が終わるのを辛抱強く待った。
 ところが、滝本は昼間の疲れが出たのか、しっかり熟睡して声を掛けても起きない。俺は心底がっかりして、滝本の寝顔を見つめた。
 廊下から漏れてくる蛍光灯の薄明かりでも、はっきりとわかる目の下の大きなクマ。頬がかさかさに荒れているのは、泣いたせい? 貧血のため土色になった唇にそっと口づけてみる。乾いて荒れた唇はひどく硬質だった。
「なんだよ、やっと同じ夜を過ごせるのに爆睡なんかしやがって」
 だけど俺はとても幸せだった。滝本の体温を感じられるこの場所にいられることがこんなにも嬉しいなんて、今まで感じたことなかった。
 滝本が回復して、以前のように激しいセックスができるようになるまで、かなり時間がかかりそうだけど、もう滝本が悲しむ顔は見たくないから、代わりの誰かとセックスするのは我慢しよう。俺を死にもの狂いで欲してくれる滝本に寄り添っていられるだけで、俺はとても満足だった。心が満たされていれば、身体の飢えはなんとか耐えられると思う。きっと……たぶん……。


          act.7
 火、木、土、日の週4回、俺は滝本の見舞いに行った。滝本の姉さんは、よほど俺の顔を見たくないらしく、暗黙の了解のように俺が行く時間帯は病室にいなかった。
 俺は、他愛ない馬鹿話をしながら、滝本の身体を拭いてやり、時々、看護師の目を盗んで下半身の世話もしてやった。滝本は金持ちのボンボンだから狙ってる看護師も多くて、彼女たちはなかなか隙を与えてくれず、滝本が元気になってきても本番なんて、とてもできなかった。
 普通なら、一ヶ月で退院できるはずだが、滝本は2回も傷口が開いたので、なかなか傷口がくっつかなくて、一ヶ月半もかかった。退院が決まった時は本当に嬉しくて小躍りしたい気分だった。こんなに長く男を挿れなかったのは初めてだったから、我ながらよく我慢したものだと感心する。
 退院の日は、お祝いにスイートとまではいかないが、夜景の綺麗なホテルを予約した。滝本のマンションは姉さんがしっかり居座っているし、俺のマンションは壁が薄いから激しいセックスには向かないからだ。
 俺は先にシャワーを済ませてウズウズしながらベッドで待っていたが、滝本はちっとも出てこない。まさか風呂場で倒れてるんじゃないかと心配して覗きに行こうと思った時、やっと出てきた。
「滝本、遅いぞ。はやくヤろう。俺は明日も仕事なんだから」
 俺がせっつくと、滝本はゆっくりとベッドに近づいてきた。だけど何となく様子が変だ。すごく不機嫌そうに口元を引き結んでいる。
「どうした?」
「俺、ホントはすごく怒ってるんです」
「何を?」
「井上さんと浮気したことです」
「今さら、そんなこと……」
「何回、ヤらせたんですか?」
 ずいっと詰め寄られて、俺は焦った。
「ええっと……3回ぐらいかな?」
「本当に3回だけ?」
「うーん、4回か5回だったかも……?」
「5回もさせたんですか!?」
 滝本の怒りを孕んだ声に俺は身を竦ませた。 
「ごめん、謝るから。もうしないって約束する」
「俺のリクエストを聞いてくれたら、許してあげます」
「リクエスト?」
「縛らせてください」
「絶対やだっ!! 変態!!」
 俺は即答で拒否した。皆にさんざん淫乱な身体だと言われてきたが、そういった倒錯的なプレイは生理的に受け付けないんだ。滝本はふて腐れたように口を尖らせたが、俺は頑として承知しなかった。
「俺はその手のプレイは大嫌いなんだ」
「嫌いだからいいんですよ。だから浮気のお仕置きになる。浮気したこと、反省してるんでしょう? だったら縛らせてください」
 怒りを押し殺した甘い声で囁かれて、俺は遂に渋々、肯いた。
 後で考えれば、何が何でも拒否して逃げればよかったと思うんだが、その時はとにかくセックスしたくて堪らなかったんだ。一ヶ月半の禁欲生活は俺の理性を狂わせるには充分過ぎる時間だった。
 滝本はいつの間に用意したのか、怪しげな本を見ながら俺を淫らな姿に縛り上げた。つまり、その……局部を見事に曝け出す卑猥の極致の格好だ。俺は目の眩むような羞恥と屈辱で、ぎゅっと目を閉じて耐えていた。
「凄いな、こんなスケベな格好をしていても哲也は綺麗だ」
 滝本は嬉しそうに俺にキスをしてきた。だけど俺はせめてもの抵抗とばかりに顔を背けてやった。こんなの本当に嫌いだ。
「ここはもう俺だけのものですよ。二度と誰にも見せたりしないで」
 滝本の舌がピチャピチャと音を立てて、俺のアナルを舐めあげる。久しぶりの快感に、俺の身体は呆れるほど敏感に反応した。
 卑猥な格好に嫌悪を感じていたのも初めのうちだけで、滝本に貫かれた途端、俺はあられもない声を上げて乱れまくった。終わった後、自分の淫乱さに海より深く落ち込んだのは言うまでもない。
 すっかり縛りが気に入った滝本はあれ以来、ことあるごとに俺を縛ろうとするが、俺はちゃんと約束を守って浮気をしていないから、絶対に縛らせない。あんなに恥ずかしくて、情けない思いをするくらいなら、一ヶ月や二ヶ月の禁欲なんてへっちゃらだ。俺は二度と浮気はしないと、心に堅く堅く誓ったのだった。
                   END
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