不安     月桜可南子
 
 「愛してる」
 それはオレに告げるためでなく、自分自身に言い聞かせているような、そんなもの悲しさがあった。不安に駆られたオレは、秀明にキスをする。秀明の柔らかい舌が焦らすようにオレの唇を舐める。それからようやく舌を絡ませ、徐々にキスが激しくなり……。目眩のするような快感がオレの不安を蹴散らしていく。


 夜明けの薄闇に浮かび上がる白い横顔。顎から鎖骨にかけての美しいライン。オレは息を潜めてうっとりと見とれていた。
 少し寝癖の付いた艶やかな黒髪に触れると、さらさらと指の隙間からこぼれ落ち.。"しなやか"という表現がピッタリの引き締まった身体が、優雅にノビをする。閉じられていた瞼がゆっくりと開けられ、また閉じられた。
「……今、何時?」
 眠そうな声が訊く。
「6時少し前だ」
「もう少し…寝かせて……」
 言って、秀明は毛布の中に潜り込んだ。ちょうどオレの脇の下あたりで、胎児のように膝を抱えて丸まると、右手が伸びてきてオレのパジャマの前立てを握りしめる。その幼い仕草が可愛くて、オレは沸き上がる幸福感に酔いながら飽きもせず秀明の寝顔を見つめた。
 スラリと伸びた細めの首は、大層、小作りな顔を戴いている。この小さな頭にサイバーテロの切り札となるIQ190の頭脳が納まっているのだ。秀明は、国家の財産として日本政府の保護という名の監視下に置かれていた。
 清楚な顔の中でひときわ目を引く大きな切れ長の瞳。見つめられると冴え冴えとした怜悧で静謐な印象を受けるが、伏せられると、はんなりとした、たおやかさを醸し出す。
 形の良い鼻と、桜色の品の良い口元。それら少女めいたパーツを、意志の強そうな眉がキリリと引き締めている。この奇跡のように美しい生き物が、自分の恋人だと思うと、オレは感動すら覚えた。
 もぞもぞと寝返りを打った秀明が、オレの胸から転がりだした。身体を冷やさないよう、急いでその肩を毛布で覆ってやる。
 秀明は、束縛や嫉妬を猛烈に毛嫌いしている。だからオレは、いつも秀明の前でそれらを必死で押し隠す。頭のいい秀明は、それを敏感に察知して、オレの独占欲を満足させ不安をかき消すセックスを与えてくれる。山ほど経験があるはずなのに俺の前では、過去の男の影なんか片鱗も見せない。
 それでもオレは時々、どうしようもない嫉妬に駆られる。これは分不相応な恋人を持った宿命なのだろうか。秀明が最後に帰ってくる場所が、自分だという自信が持てれば、こんなにも嫉妬に苦しまずに済むのにと思う。
「仁、眠れないのか?」
 つらつらと物想いに耽っていると、オレの大きな溜息に目を覚ました秀明がオレをすくい見ていた。オレは笑顔で答える。
「秀明が、あんまり綺麗だから、見惚れてたんだ」
「……恥ずかしい奴だな」
 秀明は露骨に呆れた顔をする。こういう可愛げのない生意気さも、惚れた弱みで許せてしまう。
 オレは、秀明が馴れ合うことを嫌って、二人の間にきっちりと線を引いているのが堪らなく辛い。どうしたら江口さんや響くんに対するような無限の信頼を、秀明から得られるのか。なんとか秀明の心を手に入れようと、オレは懸命に繰り返す。
「愛してるよ、愛してるんだ」
 すると秀明は蕩けるような微笑を浮かべてオレにキスをする。まるで子供に与える褒美のあめ玉のように……。
 オレがもっと成長して、秀明の悩みや苦しみを受け止められるだけの器になったら、心を開いてくれるのだろうか。オレが欲しいのは秀明の身体ではなく心なのに。
 巧みなキスと愛撫に煽り立てられ、やがてオレの思考は霧散していった。
                         END

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