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始まり     月桜可南子
 青城学園高等学校の校庭に警察庁のヘリを着けると、村木は舞い上がる砂埃の中を校舎の昇降口へと走った。昇降口では、白髪混じりの初老の男と、背の高い中年の男が待機していた。
「校長の松尾です。警察庁の村木さんですね。実はまだ佐藤くんの親御さんと連絡が取れないのです」
 初老の男が困惑した表情で言った。
「時間がありません。早く、彼を渡して下さい」
「しかし、親御さんの許可なしに生徒を渡すわけにはいきません」
 校長の隣にいた中年の男が、おずおずと訴えた。村木はイライラしながら二人を睨んだ。
「警察庁から要請があったはずです」
「ですが……」
 校長と中年の男は顔を見合わせた。
「佐藤秀明はどこです!?」
 ついに村木は声を荒げた。
「クラスに……授業中ですから」
「案内して下さい!」
 有無を言わさぬ口調で村木が詰め寄ると、校長は渋々歩き出した。
 二階の一番奥の教室に村木は案内された。何事かと、教室内にいた教師が校長に駆け寄るのを押し退けて、村木が大声で叫ぶ。
「佐藤秀明くんは、いるか!?」
 生徒達が一斉に一人の少年を振り返った。教室の中央、後から2番目の席に彼はいた。皆の注目に動じた風もなく、冷ややかな目で村木を見ている。
「佐藤くん、ちょっと来なさい」
 校長に言われて、少年はようやく立ち上がった。
「こちらは、警察庁の村木さんだ」
 廊下に出て、村木に紹介された少年は、怜悧な瞳で値踏みするように村木を一瞥した。
「何か、あったんですか?」
 村木は、大の大人を前に落ち着き払った少年に小さな違和感を覚えた。
「アメリカでサイバーテロが発生して、警察庁に協力要請があった」
 ピクリと少年の細い肩が揺れた。
「君の助けが必要だ」
「他を当たって下さい」
 即座に拒絶すると、少年は踵を返した。
「嫌でも来て貰うよ。君にはその責任がある」
「責任?」
 少年が肩越しに怪訝そうな目を向ける。
「君は、霧乃紀時の唯一の後継者だからね」
 瞬間、少年の瞳に強い光が宿り、口元が引き結ばれた。


 アメリカでのテロの第一報が、警察庁のテロ対策課に入ってきたのは、村木が登庁してすぐのことだった。あちこちに電話を掛け、情報収集に追われる部下達を尻目に、5月の爽やかな新緑を眺めながら、仕事前のコーヒーを味わっていた村木は、しかしその半分も飲み終わらないうちに総括部長に呼ばれた。
「この少年を至急、ここに連れてきて欲しい。上にヘリが待機しているから急いでくれ」
 そう言って渡された少年のファイルに目を通して、村木は唖然とした。
 コンピュータの世界ではカリスマとして崇められていた、故・霧乃博士の甥に当たるその少年は、幼い頃から博士の英才教育を受け、わずか13才にして博士号を取った天才だった。博士の死後は、父親に引き取られたが、その素行は色情狂と呼べるほど劣悪なものだった。新宿歌舞伎町で補導された回数は、両手に余るほどだ。しかしその顔立ちは、とても複数の男を知っているとは思えないほど清楚なものだった。


 村木が少年を連れて戻ると、警察庁のオペレーション・ルームは、大勢の技術者や専門家、アドバイザーとして呼ばれた大学教授などでごった返していた。
「アメリカの原子力発電所のシステムが、マダラ教信者を名乗るテロリストの攻撃を受けて乗っ取られたのが、今から3時間前のことだ。犯人は、8時間以内にアメリカ国内すべての原子力発電所の操業をストップしなければ、システムを破壊すると通告してきた。FBIのテロ対策本部が調べたところ、システムの攻撃に使われたのが<サモン・スペル>という、霧乃博士の作ったソフトであることがわかった。それでFBIは、警察庁に協力要請するという形で、君を引っぱり出したというわけだ」
 テロ対策チームの統括部長の説明を聞いて、少年は黙って肯いた。
「攻撃の解析は済んでいますか?」
「武田、データを持ってこい。さっき届いたと言っていただろう」
「第二会議室で、佐々木教授達がご覧になっています」
「それじゃあ、会議室の方へ行こう」
 村木が言うと、少年は首を振った。
「必要最低限の人間を残して、あとは追い払って下さい」
「君、一人でやれると言うのかね?」
 統括部長が、からかうように笑った。
「人払いをしてもらえないなら、僕は協力しません」
「君、そんな我が儘は……」
 ムッとしたように身を乗り出した統括部長の言葉に少年はたたみかけるように言った。
「<サモン・スペル>はサイバー戦用に作られた兵器なんです。だから叔父は殺されました。僕は自分の命を危険に曝してまで、人助けをする気はありません」
「君は授業中で、今日ここには来られなかった。それでいいんだね?」
 村木が宥めるように言うと、少年は満足げに微笑んだ。


 村木は警察庁の地下にある会議室へ少年を案内した。会議室の前では、武装した4人の自衛隊員が防衛庁から運び込まれた“機密”を護るため、護衛の任に就いている。
 すでに学者や技術者は室内から追い出されたらしく、会議室からは話し声も物音も聞こえなかった。護衛が二人に気づいて、ドアをノックし「おみえになりました」と声を掛けるとドアが開き、中から責任者らしい大柄な男が出てきた。40代後半の精悍な男で、防衛庁幕僚本部の高官の制服を着ている。
「やあ、お姫様」
 そう言って口元を引き上げた男に、少年は露骨に嫌な顔をした。
「お久しぶりです、立花さん」
 言いながら少年はきつい眼差しで男を睨み付ける。どうやら知り合いらしいが、友好的とは言い難い様子だ。
「残念ながら高名な大学教授もパンドラの箱には手も足もでなかった。最初から君が協力してくれていれば、役立たずどもにバカ高い相談料を払わずに済んだのにな」
「形見のコンピュータを無理矢理、取り上げられて、僕が協力なんかするはずないだろう!」
 少年が忌々しそうに毒づいた。
「<サモン・スペル>のバックアップが眠っているんだ。防衛機密として、押収するのは当然だ」
 立花は威圧的に言うと、村木と少年を室内に招き入れた。窓一つない12畳程の室内には、パソコンがひとつ、無数のコードで様々な機械に繋がれている。
 中にいた白衣を着た男が村木と少年を見て、軽く一礼した。
「準備はできています」
「うちの主席研究員の堂本君だ。君をサポートしてくれる」
 紹介されて、村木より少し若いその男はにっこりと微笑んだ。
「佐藤博士、お会いできて光栄です。博士論文は素晴らしかった。僕は何度も読み返しましたよ。霧乃博士のことは、本当に残念です。心からお悔やみ申し上げます」
 礼儀正しく好意的な物言いに、村木は内心ほっとしたが、少年は硬い表情で軽く頷いて見せただけだった。
「静かに眠らせておくのが一番だと思ったけど、仕方ないね」
 少年は呟くと、細い指でゆっくりとキーボードを撫でた。切れ長の目が悲しげに伏せられ、その唇から大きな溜息が漏れる。
「時間がないんだ急いでくれ」
 村木が急かすと、少年はようやく顔を上げた。
「堂本さん、パンドラの箱はご存知ですか?」
「はい、ウイルスを仕込んだブラック・ボックスです。不用意に開けるとウイルスに感染してハードディスクごとクラッシュします。これまでの我々の調査によると、内部にはおそらく5000近いウイルスが潜んでいると思われます」
「ワクチンは?」
「4055種類の用意があります」
「ではそれを打ち込んで、その後、僕が作った抗体プログラムを走らせます。ウイルスを完全に押さえ込むことはできないけど、時間稼ぎはできる。ウイルスの混乱を利用して、内部にあるサモン・スペルを取り出します。クラッシュまでのタイムリミットは、おそらく20分程度です。二人がかりで箱を探れば何とか拾い出せますよ」
 少年は淡々と手順を説明したが、それはかなりの困難と危険が予測された。村木の喉がゴクリと鳴る。堂本も顔を引きつらせていた。立花だけは、コンピュータに詳しくないのか、動じた風もなく呑気に頷いていた。


 少年の長い指が、凄まじい勢いでキーボードの上を滑るように動く。もちろん少年は手元など見ていない。モニターを流れる無数の数値と光の点滅を見つめたまま、無表情で作業を進めていく。
 15分で堂本が音を上げて、キーボードから手を離した。
「ダメだ…神経が焼き切れそうだっ!」
 荒い呼吸で空気を貪りながら、堂本は額の汗を手の甲で拭う。村木は、腕時計で時間を確認した。クラッシュまでの残り時間は後4分を切っていた。
「ビンゴ!」
 その時、少年が弾んだ声で言った。そして真っ暗な画面にインタラプト(割り込み)のコマンドが打ち込まれると、画面は元のUNIXに戻った。
 堂本と村木が安堵の息を吐き出した。
「お腹空いたなぁ。僕、朝ご飯食べてないんだ。堂本さん、ランチを奢ってよ」
 少年は、花のような微笑みを浮かべて言った。


 学者達が、<サモン・スペル>を調べるのにつき合っていた村木だったが、食堂へ行った堂本と少年が一向に戻ってこないので、少し心配になった。もし、あの少年に逃げられてしまったら、せっかく手にした<サモン・スペル>も使い方が分からず宝の持ち腐れだ。
 村木が食堂に行くと、昼食にはまだ早い時間のため、ほとんど人は居なかった。堂本と少年の姿もない。村木は途端に不安が押し寄せてきて、慌てて二人を捜し回った。
 村木が応接室の側を通りかかった時、切なそうな喘ぎが漏れ聞こえてきた。それが、あの少年の声だと気づいて、村木は確かめようと、そろそろと応接室へと足を進めた。三つ並んだ応接室の一つの扉が閉ざされ、二人分の息づかいが聞こえる。
「んっ・・・もっと・・奥まで来て・・・」
「ウッ、きつい・・・イキそうだッ」
 声から、少年の相手が堂本であると知って、村木は愕然とした。たった数時間前に知り合った男とセックスするなど正気の沙汰ではない。呆れてものも言えないとはこのことだ。堂本も堂本だ。一周りも年下の、わずか16才の少年に欲情するなど以ての外だ。気が狂ったとしか思えない。  
 村木はショックを通り越して激しい憤りを覚えていた。しかしさすがにセックスの真っ最中にドアを蹴破る勇気もなく、苦い思いで地下の会議室に戻った。
 会議室では立花が、学者達を眺めながら椅子にふんぞり返っていた。村木の渋面を見た立花は、ニヤニヤと笑って言った。
「あの子供は、男をくわえ込まなければ精神の均衡を保っていられないんだ。大目にみてやって下さい」
「あなたは、ご存知だったんですか!?」
 村木は驚いて、立花を凝視した。
「FBIが、封印した極秘ファイルを読んだのでね」
「あれは、病気ですよ。医者に見せた方がいい」
「医者に頭の中を引っかき回されて、情緒不安定になられると困るものでね。あの頭脳は国家の財産ですから、扱いは慎重にしないと」
 立花の鋭い眼光が真っ直ぐに村木を見据えた。
「あの子はあなたの手に負えるシロモノじゃない。くれぐれも扱いには注意して下さい」


 それから15分程で、堂本と少年は会議室に戻ってきた。そわそわと落ち着きのない堂本と比べて、少年はさっきまでの情事の余韻を全く感じさせない優雅さで、村木に話しかけた。
「始めてもいい?」
 問われて、村木は何のことかわからず返答に窮した。
「今から、ネットワークにログインして、システムを奪い返すよ」
 少年が焦れたように宣言した。
「君ひとりで、できるのか?」
「サモン・スペルがあれば大丈夫」
 村木を安心させるように少年は明るく微笑んで見せた。
「モデムは、ここです」
 堂本が、あたふたと回線を接続すると、少年はチラリと立花に視線を投げかけた。胸の前で腕を組んで仁王立ちしていた立花が静かに頷くと、少年は満足そうに桜色の唇を引き上げた。
 学者達が息を潜めて見守る中、少年はたった一人でシステムを奪い返した。そして居合わせた者は、サモン・スペルがサイバー戦のために開発された兵器であることを、まざまざと見せつけられたのだ。村木は少年の頭脳に驚嘆すると同時に、少年の存在そのものが危険な兵器であると感じた。
 学者達は少年を質問責めにしたが、少年は不貞腐れたように立花を睨み付けたまま黙っていた。これ以上は一切協力しないぞということなのだろう。


 村木が、上司に簡単な報告を終えて会議室に戻ると、少年の姿が消えていた。慌てて残っていた堂本を捕まえて少年の行方を尋ねるとトイレに行ったと教えてくれた。村木は、しばらく待っていたが少年が戻ってこないので、迷子になったのではないかと探しに行くことにした。
 人気のない廊下を歩いて一番近いトイレに行くと、中からクスクスと楽しそうに笑う少年の声が聞こえてきた。何を笑っているのだろうかと不審に思いながらも足を踏み入れた村木は、その場に固まった。
 トイレの洗面台に凭れた少年のシャツは大きくはだけられ、小柄な男が胸の突起に舌を這わせている。男の両手は少年の形の良い小さな尻をズボンの上から撫で回していた。少年は口元を綻ばせて男の頭を抱いている。その細い指は、からかうように男のうなじを撫でていた。 
「佐藤くん!!」
 村木は堪らず怒鳴りつけていた。ハッとして向けられた少年の顔は、上気して恐ろしく色っぽかった。相手の男は濡れ場を押さえられたショックで、真っ青になった。よく見ると、少年を質問責めにしていた技術者の一人で、少年とは親子ほども年が離れた男だった。
 ほんの数時間前に、堂本と関係を持ったばかりだというのに、手当たり次第に男に手を出すとは、狂っているとしか思えない。これではいくら頭が良くてコンピュータの才能があっても、人間としてかなり問題がある。一体、少年の叔父・霧乃博士はどういう育て方をしたのだろう。
「何か用ですか?」
 少年は、濡れ場を見つかったことなど全く頓着していない様子で、無邪気にあどけない微笑みを浮かべた。村木は、この恐ろしく頭の良い子供は、モラルや貞操観念を欠片も持ち合わせていないのだと悟った。
「来なさい。自宅まで送って行くから」
「良かった、退屈してたんだ」
 村木が憮然として告げると、少年は嬉しそうに男の脇をすり抜けて駆け寄って来た。退屈しのぎに男をくわえ込むのか! と、呆れ果てながらもキスマークの散った白い胸に目が釘付けになる。
 男に嬲られた胸の飾りが、赤く濡れて色づいていた。目眩がしそうなほど官能的な眺めに、村木は激しく動揺した。
「服をちゃんとしなさい!」
 言われて、少年は初めて気がついたように、そそくさとシャツのボタンを留めた。


「腹が空いたろう?」
 村木は途中、寄り道をして少年をステーキ・ハウスへ連れて行ってやった。立花には「あなたの手に負える代物じゃない」と言われたが、説教の一つもしなければ気が済まなかったのだ。
 少年は驚くほど小食で、半分も食べないうちに飽きて、ステーキをつつき回し始めた。見かねた村木が「食べたくないなら残しなさい」と言うと、少年はホッとしたように、フォークを置いた。
 それでもデザートに運ばれてきたチョコムースはきれいに平らげた。デザートは別腹だとは、まるで女の子のようだと村木は苦笑した。
「堂本君と意気投合したようだね」
 皮肉を込めて村木が言うと、少年はコーヒーカップからチラリと目を上げて、つまらなさそうに「まさか、ぜんぜんだよ」と答えた。
「では二人で応接室に籠もって何をしてたんだい?」
 咎める口調で追求すると、少年は悪びれた様子もなくクスリと笑った。
「あいつ、サイテーだよ。すごい早漏なんだもん。せっかく入れる前に一回、口で抜いてやったのにさ」
 こちらが赤面してしまうようなことをさらりと言って、がっかりした表情を浮かべる少年を、村木は信じられない思いでまじまじと見つめた。
「君はまだ16だろう?」
「何? お説教?」
 少年は憮然として眉を顰めた。黒目がちの切れ長の目が蔑むように村木を見返す。その冷え冷えとした怒りの気迫は、村木の出鼻を挫くには充分だった。
「君ほどの容姿なら、いくらでも女の子が寄ってくるだろうに、よりによって男なんかに抱かれなくてもいいだろう?」
 村木は諭すように言ったが、内心は冷や汗ものだった。少年が、恐ろしく高貴で威厳に満ちた表情を浮かべて、村木を見つめていたからだ。
「僕は、女が怖いんだ。彼女たちといると喰い殺されそうな気分になる。それに僕は、後ろで感じるように仕込まれたから、突っ込むより突っ込まれる方が快感なんだ」
「仕込まれたって……まさか霧乃博士にか!?」
 村木の言葉に少年が不快を露わにした。
「ずいぶんゲスな発想だな。叔父は僕を宝物のように大切にしてくれたよ」
「じゃあ一体、誰に!? 子供にそんなことを仕込むなんて許せん!!」
 村木は怒りに駆られて身を乗り出した。村木の正義感に少年が苦笑する。
「村木さんて、根っからの善人なんだね。ねぇ、ヤらせてあげようか?」
 壮絶な色香を漂わせて少年が囁いた。村木は手にしていたコーヒーカップを危うく取り落とすところだった。首まで真っ赤になりながら、あたふたと立ち上がる。
「も、もう帰ろう。ご家族が心配してみえるといけない」
 少年の両親には、すでに警察庁から連絡がいっていたが、村木は忘れたふりをした。少年は不貞腐れたように村木を睨み付け、のろのろと立ち上がった。
 

 家の前に車を停めると、少年が小さな溜息を付いた。村木は怪訝に思って少年の表情を探ったが、車の中は暗くてその表情はよくわからない。
「この家なんだろう?」
「……うん」
 村木は自分のシートベルトを外して、少年の両親に挨拶するため車を降りようとドアに手を掛けた。しかし少年は一向に動こうとしない。
「佐藤くん?」
 呼びかけると、少年はゆっくりと村木をすくい見た。
「帰りたくない。ねえ、慰めてよ。身体が……不完全燃焼で疼くんだ」
 白い手が村木の股間に伸ばされ、長い指がツボを心得た巧妙さでズボンの上から村木のモノを刺激してきた。
「なっ、やめなさい!!」
 慌てて手首を掴んで引き剥がすと、少年は唇を引き結んだ。
「何を考えてるんだ!?」
「セックス」
「悪いが、私はそういう趣味はないんだ」
 村木が言い聞かせるように言うと、酷く辛そうに少年の目が伏せられた。
「うん、知ってる。僕は、悪い子だから……みんな、僕が嫌いなんだ」
 少年は噛みしめるように言うと、村木が絶句している間に、ゆっくりと車を降りた。村木は、まさに魂を鷲掴みにされたような気分だった。
「さよなら。早く行ってよ。でないと襲っちゃうよ?」
 開き直ったように明るく言い、少年は小首を傾げて笑った。月明かりに照らされたその小さな顔は、今にも泣き出しそうに見える。
 村木は、少年の涙を見るのが恐ろしかった。それを見てしまったらもう逃げられなくなると、本能が警鐘をガンガンと打ち鳴らしている。村木は震える手でエンジンをかけると、急いで車を発進させた。
 バックミラーに写る少年の身体が、どんどん小さくなって霞んでいく。頬を生暖かいものが伝い、村木は初めて自分が泣いていることに気づいたのだった。 
                             END

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