十三回忌     月桜可南子
 「ただいま」
 ネクタイをはずしながらキッチンを覗くと、岸森がシチューを温めていた。黒のエプロンが色っぽい。
「おかえり、ヒロ。名古屋のお母さんから電話があったよ」
「へぇ、今度は何だって?」
 お袋は親父に先立たれて一人暮らしのせいか、やたらと電話を寄越す。
あまりにウザいから俺は携帯の番号を教えていない。だが、お袋はいつの間にか、ちゃっかり岸森の携帯番号を聞きだして、俺への伝言や愚痴を岸森に垂れ流しているのだ。
「それが、ヒロに直接、話したいから帰ったら電話して欲しいって。たぶん隆之さんの十三回忌のことじゃないかな」
「あ…あ、――そっか」
 岸森は鍋をのぞき込んだまま、さらりと言ったが、俺は内心、苦いものがこみ上げてきた。亡兄・隆之は、妻と息子を捨てて岸森と不倫関係にあったのだ。
 交通事故で兄貴は亡くなり、義姉はすでに再婚しているが、さすがに兄貴の法要に愛人だった岸森を列席させるわけにはいかない。義姉は、夫に対する愛情よりも岸森に対する憎しみで、決して離婚に応じなかった女だ。二人が鉢合わせでもしたら大変なことになる。
「法事は何日なの? 墓参りで奥さんとかち合わないように、僕の方が日にちをズラすから」
「悪いな」
 決まり悪くて、俺はそそくさとキッチンを後にした。


 夕食後、岸森が気を利かせて近所のコンビニに出かけてくれたので、俺は実家のお袋に電話した。
「それでね、昌美さんは一樹だけ法事に行かせるから、一樹を直記さんに会わせてやってくれって言うのよ」
「直記の気持ちだってあるのに、ムチャ言うなよ」
「一樹もね、いろいろと難しい年頃でしょ。下手に気を使って隠し事をしない方がいいと思うの」
 母親から父親を奪った相手に会いたいなんて、いかにも“年頃のマセガキ”が考えそうなことだ。一樹は恨み言の一つも言えば気が済むのだろうが、岸森を傷つけることだけは絶対に許せない。
「俺は反対だ」
 きっぱりと拒絶した俺だったが、お袋からの痛恨の一撃であっけなく撃沈した。
「こんなにややこしいことになったのは、おまえが直記さんを恋人にしたからなんだよ」
 兄貴が死んで来生家と縁の切れた岸森を執念で探し出し、口説いて口説いて口説きまくって、恋人にしたのは他ならぬこの俺だ。もう、どんな反論もできなかった。


 コンビニから戻った岸森に、渋々、事の次第を報告すると、やはり岸森は困惑の表情を浮かべた。
「一樹くんは、今、中学二年だっけ?」
「ああ、兄貴と同じ市立中学に通ってる」
「なんだか、会うのは怖いな」
「無理しなくていいよ。子供のワガママなんだから。やっぱり断ろう」
 そう、これは子供の残酷な好奇心だ。そんなもので俺の大切な岸森を苦しめられてたまるか!
「でも、会わなくちゃいけないと思う。だって、僕にできる償いはそれくらいだもの」
「“償い”なんて、そんな言葉は使うなよ。ただ、兄貴を好きになっただけじゃないか。直記は何も悪くない」
 畜生っ、こんな話をするんじゃなかった。
「大丈夫だよ。ヒロが側にいてくれるんだろう?」
「ああ、俺はもう指をくわえてみているしか脳のないガキとは違う。直記の盾になって、攻撃してくる奴と断固、戦うぞ」
「ヒロってば、好戦的だなぁ」
 そう言って苦笑した岸森は、真摯な瞳で俺をすくい見た。
「ありがとう」
 消え入りそうな声で囁かれて、俺は二人を会わせる覚悟を決めた。


 その日は、あいにくの雨だった。前日の夜に実家に戻っていた俺達は、互いに緊張を悟られまいとバカ話ばかりしていた。お袋は、久しぶりにたった一人の孫に会えるということで猛烈にはしゃいでいた。
 義姉の再婚で名字も来生から本田に変わってしまった一樹は、年に二回、盆と命日だけこの家を訪れる。仕事に忙殺されている俺が一樹に会うのは、確か三年前の盆以来だ。兄貴の命日は、たいてい岸森と一緒に帰省するから、墓参りだけで済ませ、実家には立ち寄らないのが恒例だった。
 一樹は、一人でタクシーに乗ってやって来た。中学の制服姿で、どこか超然とした雰囲気は嫌でも兄貴を彷彿とさせる。外見が母親似なのがせめてもの救いだ。これで色男だった兄貴に似ていたら、俺はあらぬ嫉妬に駆られて、こいつを岸森と会わせるのを中止しただろう。
「ご無沙汰しています。本田一樹です。本日は、お忙しい中、父の法要にお集まりくださり、ありがとうございます」
 義姉に練習させられたのだろう、一樹は集まった親族達にきちんと挨拶し、祖母であるお袋をいたく感激させた。
「叔父さん、岸森さんは?」
「俺の部屋にいる。坊さんが来たら降りてくるよ」
「僕、二階に行ってもいい? 早く会いたいんだ」
 ちっ、気の短いガキだ。
「そうだな。じゃあ、紹介してやるから、ついてこい」
「過保護だね」
 一樹が小馬鹿にしたように言ったので、俺はカチンときた。
「礼儀を弁えないガキは叩き出すからな」
「はぁい、わかりました」
 きつい口調で釘を刺すと、一樹は甘えるように舌を出した。


 岸森は俺のベッドに腰掛けて、古いアルバムを見ていた。俺の生まれたときから三歳くらいまでの写真だ。
 長い睫がうっすらと影を落とし、わずかに綻んだ口元が艶っぽい。惚れた欲目を差し引いても、岸森は文句なしに綺麗だ。俺の背後にいる一樹がその美貌に息を飲むのがわかった。
「直記、一樹が来たぞ」
 俺が声を掛けると岸森は弾かれたように顔を上げた。
「こんにちは、えっと、初めまして」
 立ち上がった岸森は、俺の後ろにいる一樹にゆったりと微笑みかけた。しかし、一樹は無言のまま岸森を凝視していて一言も話さない。焦れた俺がたまりかねて口を開いた。
「一樹、挨拶くらいしろよ! おまえが会いたいって言うから、わざわざ休みを取って東京から来てくれたんだぞ」
 インテリア・コーディネーターをしている岸森は、水曜が定休日で、本来なら今日のような日曜は一番忙しい日なのだ。
「こんにちは」
 一樹は慌ててぺこりと頭を下げたが、不躾な視線は抜かりなく岸森の全身を舐め回している。
「もう気が済んだだろう。下へ行って、ばあさんの相手をしてやれ」
「待ってよ、僕、どうしても岸森さんに聞きたいことがあるんだ」
「なんだい?」
 ひっそりとした声で岸森が訊いた。
「父さんは、僕が生まれたこと、喜んでた? 本当は僕なんかいなけりゃいいって思ってたんじゃないの?」
 一瞬、岸森の端正な顔に当惑の色が浮かんだが、やがて淡々と語り始めた。
「隆之さんは僕に気を使って、君のことはいっさい話さなかったからわからないよ。でも、財布には君の写真がいつも入ってた。会社でも秘書の太田さんにずいぶん君のことをノロケていたみたいだ。だから僕はずっと君が怖かった。いつか隆之さんを取られてしまうんじゃないかって……」
 いったん言葉を途切れさせた岸森だったが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべて続けた。
「でも今は、一樹くんが大好きだよ。生まれてきてくれて、ありがとう」
 正直なところ、俺と岸森は一樹の存在にずいぶん救われていた。もし、一樹が生まれていなかったら、俺のお袋は孫の顔見たさに、岸森と俺を別れさせようとしただろうから。俺達が静かに暮らしていられるのは、名字こそ変わってしまったが、一樹という跡取りがいるからこそだ。
「一樹、お母さんとうまくいっていないのか?」
 義姉は、再婚相手との間に男の子を一人もうけている。義姉が前夫との子供である一樹を疎んじているのではないかと、俺は心配になって訊いてみた。
「別に……普通だよ。ただ、母さんがよく嫌そうに言うんだ。『頑固なところがお父さんそっくり』って……」
「頑固なのは来生家の血筋だから仕方ないよ」
 岸森はこともなげに言った。
「別に一樹君のことが嫌いで、そう言ってるわけじゃないから、気にすることないよ」
「そうなんだ」
 一樹はあっけなく納得したが、俺は納得できなかった。なぜって、岸森と意見が分かれた時、俺は決まって岸森の意見を尊重しているからだ。
「俺は頑固じゃないぞ」
 俺が頑なに何かを主張して押し通したことなど一度もない。
「ヒロは、頑固というより一途だよね。一度、こうと決めたら執念で突っ走るから」
 岸森は苦笑して言った。俺が複雑な気持ちで目を逸らすと、一樹と目が合ってしまった。
「おばあちゃんもそう言ってた。『執念で追いかけられて直記さんは怖くて寛之と暮らしてる』って」
 お袋のヤツ、一樹になんてこと言うんだ。叔父として俺の立つ瀬がないじゃないか。
 救いを求めて岸森に視線を戻すと、岸森は俺にバレないよう俯いて笑いを堪えていた。肩の震えでわかるんだ。伊達に何年も一緒に暮らしてるわけじゃないぞ。


 読経と墓参りが済むと、俺は岸森をすぐに帰らせた。親戚連中の好奇の目に岸森を晒したくなかったからだ。法要の会食は和やかな雰囲気で無事終わり、一樹は迎えに来た義父の車で帰宅した。
 俺が東京のマンションに戻ったのは深夜に近かった。
「ヒロ、まだ起きてたの?」
 先にシャワーを済ませた俺が、ベッドでパソコンのメール・チェックをしていると、岸森がバスローブ姿で顔を出した。
「今日は本当にお疲れ」
 労いの言葉をかけると、岸森はふわりと微笑んだ。
「うん、ヒロもお疲れさまでした」
 一樹との対面が決まって以来、岸森はずっとナーバスになっていた。それが終わった解放感からか、今は表情が伸びやかで、ドキドキするくらい綺麗だ。
「愛してるよ」
 無意識のうちに俺の口をついて出た言葉に、岸森は嬉しそうに破顔した。片膝をベッドに乗り上げて、唇を重ねてくる。その柔らかい唇を受け止めながら、そっと舌を絡ませると、岸森が慌てて身を引いた。
「ダメだよ。ヒロは明日の仕事に備えて眠らなくちゃ」
 岸森が俺の疲れを気遣ってのこととわかってはいるが、俺は岸森が欲しくて堪らない。
「直記……」
 熱っぽく囁くと、岸森は困ったように逡巡し、やがてヤレヤレって顔で再び唇を重ねてきた。今度は官能を誘い出すエロティックなキスをたっぷり味わう。バスローブの合わせ目から掌を忍び込ませ、小さな胸のしこりを摘むと、岸森の唇から甘い吐息が漏れた。
 快楽の時間の始まりだ。


 数週間ぶりに訪れた岸森の胎内は、いつにも増して熱くて狭くて、きゅうきゅうといい具合に俺に吸いついてくる。甘えるように俺にすがりつく岸森が愛しくて堪らない。岸森とセックスしていると、しみじみセックスは共同作業だなぁと思う。
「直記……も…だめだ――持たないっ!」
「は…ぁん……ヒロ、一緒に……」
 最奥のイイトコロを切っ先で強く抉ってやると岸森は白い喉を仰け反らせて弾けた。
「アッ、アッ…ア――ツッ!!」
 歓喜の証を迸らせながら細い身体が激しく痙攣する。粘膜の締め付けを堪能しながら、俺も欲望を解放した。
 脱力して、しどけなく四肢を投げ出した岸森の額にそっとキスを落とすと、長いまつげに縁取られた瞼が上げられた。物言いたげにじっと俺を見つめる岸森が妙に可愛く見えて、俺は何だかドギマギしてしまう。
「どうした?」 
 優しく問いかけると、岸森は恥ずかしそうに呟いた。
「今日のヒロ、凄かった。我慢してくれてたんだね。ここんとこ僕が神経質になってたから」
 チラリとコンドームに溜まった精液に視線を向けられ、俺は赤面した。
「たまには“おあずけ”もいいかもな」
「そうだね」
 互いに顔を見合わせて笑う。
 やがて岸森がぽつりと言った。
「一樹君に会って、少しだけ胸のつかえが取れた気がするよ」
「そっか、良かったな」
 一樹の件で、神経をすり減らしたのは無駄じゃなかったとわかって、俺は嬉しかった。
「一樹君は、何でも相談できる親友って、いないのかな?」
 岸森が、ちょっと心配そうに呟いた。それからベッドに起きあがると、俺の分身からコンドームを外してゴミ箱に入れる。
「どうかなぁ」
 甥とはいえ、離れて暮らしているから、俺は全く一樹の私生活を知らない。冷めた眼をした一樹の顔をぼんやり思い出していると、岸森がティッシュで俺の分身を清めてくれた。
「僕はヒロがいてくれて本当に救われたよ。あの頃は、ヒロがこ〜んなスケベな奴とは知らなかったけど」
 言われて下半身に目をやると、俺の分身は再び頭を持ち上げていた。岸森は呆れたように肩を竦めると、箱から新しいコンドームを取り出した。
                         Happy End        


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